もう、今日と同じ明日は来ない
「明日は来ないかもしれない」と思ったことはありますか?
牛乳は飲めない(乳糖がダメ)、冷たいものを飲むとお腹を下す(大学時代はウ○コマンという素敵なあだ名(蔑称??)も!)、ニンニクも苦手(焼き肉に行くとほぼ確実にお腹を下す)、という素敵な体質を持っているわたし。
こんなわたしなので、夏は腹巻をかかしませんし、食べ物だって、かなり気をつけています。
運動も良くするようにして、ほぼ毎朝ジムでウォーキングもするし、筋トレだってちゃんとして、サプリメントも飲んでいます。プロテインは当然アイソレートです。
ですが、原因不明の胃腸の不調に2ヶ月悩まされたりもします。こんなに気をつけているのにどうして?っていつも思います。
先日、会社の健康診断がありました。
健康オタクのわたしは、当然余裕綽々。気になるのは、身長伸びたかな?ってことくらい。
ところが結果は、肝臓の数値が大変悪く、要精密検査とのこと。
ショックでした。
これだけ健康に気をつけて生きているのに、どうして?と思いました。
普段家ではお酒をほとんど飲まない(週1ビール1本飲むか程度)ので、肝臓には心当たりがありません。
肝臓が悪いってどんな状態なの?と、色々調べました。
ウイルス性肝炎、肝臓癌etc、出てくるのは悪い情報ばかりです。
小さい頃に手術をしたので、まさかそのとき?輸血したっけ?親にも確認しました。輸血なしでした。
他には、薬剤性肝炎という情報もありました。
サプリメントを飲んでいるし、きっとそうだろう!そうに違いない!そう思ってすぐに医者に行きました。
その日もサプリメントはバッチリ飲んでいましたが、自分の健康が気になって仕事が手につかなかったのです。
これでまた結果が悪ければ、サプリメントをやめればいいだけだと思っていました。
ひとまず血液検査をし、週明けに結果が出ますから、また来てくださいね、とのこと。
不安な週末を過ごしました。
週末はサプリメントを摂るのもやめました。週明けに再再検査になるかもしれないと思ったからです。
親も励ましてくれましたが、不安は止みませんでした。
「もしかしたら、明日は来ないかもしれない」
本気でそう思いました。
これだけ健康に気を遣っているわたしが、まさか内臓に疾患を抱えているかもしれないとは、夢にも思わなかったのです。
明日も、今日と変わらずやってくる、そう思っていたのです。
でも、気づかないうちに病気が進行していて、手に負えないことになっていたんだ、そんな風に思いました。
わたしは、自分を変える決意をしました。
もう遅いかもしれないけれど、今からできる限りのことをやってみようと思いました。
命に指がかかったかもしれない、もう死んじゃうかもしれない、今までと同じような生活はもうできないかもしれない、と本気で感じた瞬間に、
さまざまな後悔が降りてきたからです。
わたしには、夢があります。
人の役に立つという夢です。
14歳の時、進研ゼミの仕事紹介の付録を見て、医者になろうと思いました。
「お金のために働くな。人のために働きなさい。」
そんな言葉に、心を揺さぶられたのです。
なんて格好いいんだ!わたしも人の役に立てる人間になりたい!!!と思ったのです。
わたしは、中学まではそれなりに勉強ができましたが、高校に入ってみると、周りには自分より頭の良い人がたくさんいて、ああ、これじゃあ医者は無理だな、と早々に諦めてしまいました。
他人からテストの点数をバカにされ、なにくそ!と思って、歯を食いしばって勉強を続けることができるほど、わたしは自分の夢のために生きていなかったのです。
他人からバカにされても、自分は自分、と自分を保つことが全くできず、その都度落ち込んで、どんどん自分に自信がなくなっていったのです。
アドラーでいうところの、機能価値と存在価値を分離できていませんでした。
言葉にならない気持ちがどんどんこみ上げてきたわたしは、中学時代の同級生に連絡しました。
すると彼女は、「自分らしく生きれば良いんじゃない?」とわたしに言いました。
自分てなんだ?わたしって、一体なに?どこにあるの?
意味がわからず、余計に悩みが深まりました。
壮大な自分探し物語の開幕です。
大学で心理学を勉強することになったわたしは、入学早々の授業で度肝を抜かれました。
「心理学を勉強しても、人の心を読むことはできません」
なんだ、、と?
この時のわたしは、心理学を勉強すれば、人の心を読むことができるようになると、本気で思っていたのです。
人の心が読めて、その人の困っていることがピッタリ分かれば、絶対に役に立てる人間になれると思っていたのです。
わたしはがっかりしました。
わたしは、人の役に立つ人間になるという自分を実現することで、自分が救われようとする、自らの価値を実感しようとする、メサイヤ・コンプレックス状態に陥っていたので、酷く落胆しました。
しょんぼりする経験が多く、自らの価値を自ら低く見積もる、劣等感が心に沈着していたのです。
これじゃあダメだと思いました。
その後、読書経験がほとんどなかったわたしは、さまざまな本を読み始めました。
どうやったら、人の役に立てるんだろう?と考えました。
するとある時、心は読めなくても、きっと、人の心に寄り添うことはできる、と思えるようになってきました。
それからのわたしは、人の役に立つ=人の心に寄り添う、とぼんやり定め、大学時代を過ごしました。
幸いなことに、教育心理学の動機付けという概念にも出会い、先生・先輩にも恵まれ、大学院まで出ることができました。
良いことも、悪いことも、嬉しいことも、悲しいことも、楽しいことも、苦しいことも、たくさんたくさんあった6年間でした。
でも結局、自分が価値のある人間だと、心から信じられるようにはなれず、寂しい気持ちがいつもそばにありました。
就職先での仕事は、特に心理学を使ったものではありませんでした。
それどころか、文系で大学院まで出た変わり者、しかも心理学、という先入観は、行く先々でもたれました。
わたしは笑っていましたが、悲しい気持ちでいっぱいでした。
人の役に立ちたいと思って心理学を勉強したのに、どうして?と思っていました。
他者からの批判に対し、自分を十分に保てるほど、自尊心がなかったのです。
わたしには、自分の価値を自分の物差しで決めるという、勇気が足りませんでした。
だからわたしは、人から認められようと思い、一生懸命仕事をしました。
人から認めてもらうことで、自分の自尊心を確保しようとしたのです。
次第に人から認められるようにはなりましたが、自分自身を認めてあげるという大事な作業を怠っていたので、寂しさが込み上げてくることがよくありました。
そんな時は一生懸命仕事をすることで、それを忘れようとしました。
でも、自分の心だって、自分に大切にされたい。
他人からではなく、自分に一番大切にされたい。
子どもと同じです。
自分のお母さんに大切にされることが一番嬉しいに決まっています。
友達のお母さんではなく、自分のお母さんに見てもらいたいのです。
そんな当たり前のことを、自分自身にしてあげられず、他者のものさしを使うことで自分を評価し、自分の精神衛生状態を良くないものにしていました。
転職してしばらく経って、わたしはコーチングに出会いました。
心理学を学んでいたわたしには、衝撃的でした。
まるで、精神分析家のような仕事を、世の人に提供していたからです。
これって職業にしていいんだ、と思った瞬間でした。
悩みに悩み、講習に申し込みました。
日本全国からそれぞれに想いを持った人たちが参加していました。
その中で、わたしは、人の役に立てる自分になることで自分が救われたい、という倒錯した気持ちと向き合う決意をしました。
自分を見つけ、自分を保つ術を、身につけるためです。
自分の物差しで、自分を測れるようになるためです。
わたしは、過去の自分と訣別する気持ちでいっぱいでした。
その過程の中でわたしは、わたしの中に小さな子どもを見つけました。
こちらに向かって手を振って声を出している、小さな子どもです。
小さなわたしでした。
その手を取って、握ってあげると、にっこり笑ってくれました。
この時、これまで何度となく向き合ってきた自分に、本当の意味で出会った気がしました。
今までも、見かけたことは何度もありましたが、そのたび目を閉じ、耳を塞ぎ、顔を背けていました。
小さなわたしは、とても悲しかっただろうと思います。
ただ手を取って、気づいてほしかっただけだったのです。
小さなわたしは、わたしにこう言いました。
「自分を信じて、人のために働いてほしい。お金のために、自分の気持ちに正直になれないなんて、自分がかわいそうだよ。」
言いたいことはわかるけど、わたしはその言葉と向き合えませんでした。
なぜならわたしは、自分にとってお金は、自分を良く見せるための手段の一つであり、人よりも良い給料をもらって、良い暮らしをしたいと思っていたからです。
そのために勉強をしたし、転職をしたからです。
わたしは、小さなわたしに、「そうだね」と言って、立ち去りました。
「数値の波ですね」
不安とは裏腹に、再検査の結果は、何の異常もないことを示していました。
医者のわたしだって、きっと数値には波があって、たまたま悪い時に検査しちゃったら、こんなことになるかもしれないんだ、だから大丈夫。
そう言われ、診察が終わりました。
基準値の3倍もの数値を叩き出しながら、再検査では極めて普通の結果。
あんなに不安だった日々は、なんだったのだろう?
なぜだろう?
そう感じながら、病院を出ました。
全ての出来事に意味があるとすれば、この出来事にはどんな意味があるだろう?
帰り道に考えました。
「今日と同じ明日は来ないかもしれない。」
「だから、今日できることを、やり残さない。」
「夜眠って、明日が来なかったとしても、「まだやりたいことがあったのにどうして」なんて、死んだ後に涙を流したくない。」
わたしはこの出来事が、「命は限られている」とわたしに気づかせるために起こったのだと思いました。
どう生きたいか?どう死にたいか?を、自分の命に指がかかる体験を通じて、わたしに考えさせてくれたのだと思いました。
人生は平等に与えられているけれど、その使い方は自分次第。
しかも、やり直しが効かない、一度しかない。
そして、必ず終わりがやってくる。
わたしは、人の役に立ちたいと思いました。
みんなと一緒に笑いたい。
もっと、自由になって、全身から喜びをいっぱいあふれさせて、毎日を生きていきたい。
今日、夜眠る時、明日が来なくても良いと思いながら、布団に入りたい。
心の底から思いました。
そんな風に思ったら、また小さなわたしが出てきました。
わたしは、小さなわたしの手を握りました。
わたしは、小さなわたしの手を離したくありませんでした。
この手を離したら、もう二度とわたしの前に出てきてくれないと思いました。
わたしは、過去の自分と訣別するのではなく、過去の自分を抱きしめて生きていきたいと思いました。
良いことも悪いことも、全部あっての自分。
全部抱えて、それでも笑って、自分らしく生きていたい。
心からそう感じました。
評価は、他人が下す物だから変えられない。
だけど、自分に対する自分の評価は自分次第。
どうか、自分の存在価値を、自分で傷つけるようなことはしないでほしい。
価値判断に、他人の物差しを使ってはだめ。
自分は、自分の気持ちに嘘をつかず、ひたむきにやって。
他人の声のボリュームを下げて、自分の心の声のボリュームをあげて。
選べる自由に感謝し、選んだ道に悔いが残らぬよう、明日が来なくても良いと思えるよう、
「今」に向き合って、マイペースに生きてほしい。
今のわたしが、過去のわたしに贈る言葉です。
そして、今のわたしが、未来のわたしに贈る言葉です。
これからどんな未来が待っているかわからないけれど、最期に笑って終われるよう、「今」に後悔を残す生き方だけはしたくない。